コラム

2024/06/11

私待つわ。いや待たないで

お客様の選択の自由?

「日本の消費者は欧米に比べて意識が低い。だから、環境や社会に配慮したものを売っても売れない」とは企業サイドからよく聞こえてくる声。

 

でも消費者目線で考えてみると、この主張はちょっと変じゃないかと最近感じます。 なぜ、そもそも環境に配慮したものとそうでないものを店頭に置いて、消費者に選ばせるのでしょうか。

お客様の選択の自由を奪っちゃいけないから? いやいや、自由も何も、環境・社会に配慮していない製品「も」販売して、「消費者が買ってくれない、選んでくれないから、企業としてはエシカルな商品を売れない、つくれない、開発できない!」というのはちょっと乱暴じゃないでしょうか。
 

 「じゃあ、売る側のみなさんは、何かを買う時、いつもエシカルなものを買ってるんですね?」なんて意地悪なことも言いたくなります。

例えば、コーヒーを1杯買うと思ったとしましょう。事前、もしくはその場で環境や社会に配慮した商品、企業を調べて、カフェなり、コンビニなり、スーパーなりに行く人はほぼ皆無でしょう。多くの人が、その場で売っているもの、近くにあったカフェで買うはずです(その中でマッチベターなものを選んだりはするかもしれません)。服だとどうでしょうか。家電は? おもちゃは? おかしは? 車は? 家は?

もちろんそんな単純な話じゃないというのはわかります。エシカルだ、そうじゃない、と白黒はっきりつけられるものじゃない。何らか線引きして、基準に満たないものを売らないなんていう方針を出したら売るものがなくなる。取引先に迷惑がかかる。全部高価格になって商売にならない、などなど......。 でもだとしたら消費者の選択に委ねて、自分たちの売り方が変えられるようになるのを待つ、というのはわかるようで、ちょっと消費者に甘えすぎな気がします。


「私待つわ いつまでも待つわ たとえあなたが振り向いてくれなくても」

90年代にこんな曲も流行りましたが、いや、そんなに待たれては地球が滅びます。

消費者の選択の自由も主体性も重要ですが、そもそも売る側として、「お客様に環境や社会に配慮していないものを買わせません! うちにおいてあるものはどれでも安心して選んでください」と言い切るぐらいの気概と実質的な取り組みが必要な段階にきているのではないでしょうか。

  

消費者の変化を待つのはもう終わり。自ら変化をつくりだす企業のアクションを期待しています。以上、消費者の声でした!

 

 

写真は大阪、鶴橋のキムチ売り場。本文とは関係ありませんが、どれも美味しそうで、消費者の主体性を奪われていました(笑)