コラム

2024/07/02

まずは126円越え!

126.png

「エシカル消費を実践したいけれども、お金がかかる」。

確かに、スーパーで売られているオーガニック野菜は普通の野菜より数十円単位で高い。お気に入りのMSC認証ちくわも数十円高い。服や雑貨、家具など大型のものになればなおさらだ。一つひとつは数十円、数百円でも積み重なると数千円、数万単位で違いがでてくる。

かといって選ばないのも気がひける。悩ましい...

でも、冒頭の数字を見てほしい。

これは、公正・公平な貿易によって取引されたフェアトレード認証製品の日本人一人あたりの年間購入額(2021年)。フェアトレード認証のチョコレートやコーヒー、紅茶なら数百円はするので、つまりそんなにプレッシャーを感じなくても、
年に1つ買うだけで簡単に平均金額を上回ることができる。


株式会社自然エネルギー市民ファンドの会社案内にさわかみ投信株式会社 取締役会長の澤上篤人さんがこんな趣旨のメッセージを寄せていた。

日本の預貯金898兆円(2019年6月末、日銀速報。古いパンフレットなのでデータの古さはご容赦を)。このうちわずか1%を寄付に回すだけで日本経済は1.7%成長、3%なら5%成長になる。

商品の購入ではなく、寄付の話ではあるものの、大金を使わずとも、案外少ない金額で社会の変化を起こすことは可能と言えそうだ。


「寄付が貧しい方々や音楽家、スポーツ選手にまわれば、今日は腹いっぱい食べよう、楽譜を買おう、スポーツシューズを新調しようの消費が発生する。それが経済活動を活発化させるわけだ」


エシカル消費も同じこと。経済の活性化のみならず、年にわずか数百円のチョコレートを1枚買うだけで、そのシグナルは販売側、流通側、生産者に伝わり、エシカル市場の拡大につながっていくだろう。


ちなみに、日本のファトレード認証製品市場規模は196億円(2022年)。前年比24%増と過去最大の伸びになった。背景としては企業がコーヒーなどを積極的に使用したり、ノベルティにも活用するようになったことなどがあげられている。

毎日、いつもといわずとも、たまに、小さな金額でもいいのでエシカル消費を続けよう。小さなくとも地道なアクションが企業のアクションとあいまって、全体を変えていく力になると信じて。




【参考】
・【最新フェアトレード市場規模発表】国内フェアトレード市場規模196億円、前年比124%と急拡大

2024/06/11

私待つわ。いや待たないで

お客様の選択の自由?

「日本の消費者は欧米に比べて意識が低い。だから、環境や社会に配慮したものを売っても売れない」とは企業サイドからよく聞こえてくる声。

 

でも消費者目線で考えてみると、この主張はちょっと変じゃないかと最近感じます。 なぜ、そもそも環境に配慮したものとそうでないものを店頭に置いて、消費者に選ばせるのでしょうか。

お客様の選択の自由を奪っちゃいけないから? いやいや、自由も何も、環境・社会に配慮していない製品「も」販売して、「消費者が買ってくれない、選んでくれないから、企業としてはエシカルな商品を売れない、つくれない、開発できない!」というのはちょっと乱暴じゃないでしょうか。
 

 「じゃあ、売る側のみなさんは、何かを買う時、いつもエシカルなものを買ってるんですね?」なんて意地悪なことも言いたくなります。

例えば、コーヒーを1杯買うと思ったとしましょう。事前、もしくはその場で環境や社会に配慮した商品、企業を調べて、カフェなり、コンビニなり、スーパーなりに行く人はほぼ皆無でしょう。多くの人が、その場で売っているもの、近くにあったカフェで買うはずです(その中でマッチベターなものを選んだりはするかもしれません)。服だとどうでしょうか。家電は? おもちゃは? おかしは? 車は? 家は?

もちろんそんな単純な話じゃないというのはわかります。エシカルだ、そうじゃない、と白黒はっきりつけられるものじゃない。何らか線引きして、基準に満たないものを売らないなんていう方針を出したら売るものがなくなる。取引先に迷惑がかかる。全部高価格になって商売にならない、などなど......。 でもだとしたら消費者の選択に委ねて、自分たちの売り方が変えられるようになるのを待つ、というのはわかるようで、ちょっと消費者に甘えすぎな気がします。


「私待つわ いつまでも待つわ たとえあなたが振り向いてくれなくても」

90年代にこんな曲も流行りましたが、いや、そんなに待たれては地球が滅びます。

消費者の選択の自由も主体性も重要ですが、そもそも売る側として、「お客様に環境や社会に配慮していないものを買わせません! うちにおいてあるものはどれでも安心して選んでください」と言い切るぐらいの気概と実質的な取り組みが必要な段階にきているのではないでしょうか。

  

消費者の変化を待つのはもう終わり。自ら変化をつくりだす企業のアクションを期待しています。以上、消費者の声でした!

 

 

写真は大阪、鶴橋のキムチ売り場。本文とは関係ありませんが、どれも美味しそうで、消費者の主体性を奪われていました(笑)

2024/06/06

グリーンウォッシュにどう対応すべきか

グリーンウォッシュにどう対応すべきか

先日、「グローバルネット」2024年1月号に、「諸外国のグリーンウォッシュ規制と日本の規制」と題して記事を書かせていただきました(NPO法人環境市民 副代表理事 下村委津子さんと共筆)。

「グリーンウォッシュ」とはあたかも環境に配慮しているかのように見せかける表示のことで、日本でも最近随分と話題になってきました。私は、NPO法人環境市民でスタッフをしていた際、2011年から2013年にこの問題に取り組み、欧米各国で調査を行いました。その時、欧米では国や民間で規制やガイドラインを制定しており、すでに10年ぐらいたっている状態でした。

それから10年が過ぎましたが、日本は残念ながら国も民間も10年前と状況はさほど変わらず、効果的な対策を打ち出せているとは言えません。

世界動向、日本が今後とるべき方向性についてもご紹介しましたのでぜひご一読いただき、みなさんのご意見をおきかせください。


「グローバルネット」の購読はこちら

 

2024/04/21

「もう服はつくらないで」にどう応えるか

「もう服はつくらないで」にどう応えるか

映画「燃えるドレスを紡いで」を観てきました。

パリ・オートクチュール・コレクションの公式ゲストデザイナー、中里唯馬(なかざと ゆいま)さんを通して「服の最終到達点」と「未来」が描かれるドキュメンタリー映画です。

中里さんが訪れたアフリカ、ケニア。そこには毎日毎日、私たちが手放した服が数十キロ単位の固まりで届けられていました。中古市場で販売されるものの、仕立て直しの段階で不要になった歯切れやそこでも不要になった服が地面に捨てられ、まるで服の床のようになっていました。川沿いも、捨てられた服で土肌が隠れ「服の土手」と言っても過言ではない状態。スクリーンに広がる映像に言葉を失いました。

産業廃棄由来なのか、個人が「リユース」という名のもとに手放したものなのか、経路まではわかりませんが、映画の中で中里さんが見る限り、どれも安いポリエステルや複合素材のものばかり。「次の人に着て欲しい」と思って大事に手放されたというよりは「もう着ないから捨てよう」と放り出された感が強いように感じました。



「世界でつくられる服の75%は廃棄されている」

日本でも着られなくなった服の約7割がごみになっています。残り3割は中古市場に流れたりリユースされたりしていますが*1、一部は輸出され、2015年には24万トン輸出されています*2。輸出先の国でさらに不要になったものがまるで掃き溜めのようにアフリカなど途上国を中心に輸出され、現地の産業を圧迫し、火災により有毒ガスが発生するなどの問題を引き起こしています*2。

「もう服はつくらないで欲しい」。

映画に登場する現地の方が語る言葉です。
この問いにどう応えるのか。リユースは大事ですが、リユースの限界も露呈している今、
個人で、地域で、そしてファッション業界全体でこの問題について考え、それぞれにアクションを起こす時ではないでしょうか。

 


公式サイト「燃えるドレスを紡いで」

*1 https://www.env.go.jp/policy/sustainable_fashion/
*2 https://www3.nhk.or.jp/news/special/international_news_navi/articles/feature/2022/05/29/21711.html

2024/03/03

重箱の隅? サステナビリティ浸透度のバロメーター

重箱の隅? サステナビリティ浸透度のバロメーター

ブランディングは決してブランドカラーやロゴを決めたりすることではない。どこを切っても、そのブランドが現れること。

ブランディングを専門とする方からよく聞く言葉ですが、最近つくづくそうだなあと思います。

先日、朝に銀座を歩いていた時のこと。とあるブランド店の前を通ると...清掃をしている方の制服に目が止まりました。よく見かける、水色や青といった清掃員の方の制服とはかけ離れたデザイン。こんなところまで統一するのか、と驚かされました(写真)。

cleaning.jpg

 
サステナビリティ分野はどうでしょうか。

各社、高らかにさまざまな目標を掲げていますが、いざ打ち合わせに行くと、使い捨てのプラスチック容器で飲み物が出てきたり(飲み物をいただけることは自体はありがたいのですが...)、夏はキンキンに、冬は暑いほど冷暖房が効いていたり、お昼になると社員が続々とランチをレジ袋に入れて戻ってきたり、多様性を理解しているとは言い難い言動があったり...違和感を感じることもしばしば。

あるセミナーで、大手のブランディングを多く手掛けている方が「イベントでペットボトル飲料がずらりと並んでいたりするとその会社のブランドはそんなもんなんだな、と思う」とおっしゃっていました。

重箱の隅のようにも思えるかもしれませんが、こうした「こまごまとしたこと」はその組織のサステナビリティがどこまで浸透しているかの証左だと思います。厳しいようですが十分に浸透していなければ、社員の行動もそれなりに、なるでしょう。社員一人ひとりに浸透してこそ、その上に積み上がる、組織の戦略や目標が形になるもの。十分に浸透していなければ、その上にいかに立派な目標が掲げられても、実現は困難に直面するでしょう。その意味では、「こまごましたこと」を重箱の隅とは言っていられなさそうです(かといって都度、目くじらをたてて注意するものではありませんが)。

サステナビリティも「かくあるべし」。ブランドものの制服に身を包み、掃除をする方の背中を見ながら感慨深く思った朝でした。

 

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 ...